totojp’s blog 教育言いたい放題

若い先生方に読んで欲しくて書いています

教師の苦しさ

 何年前だったろうか?カリキュラム研究の安彦忠彦先生(名古屋大学名誉教授)が「公教育の私教育化」と話を講演された。今でも本当の意味は私程度では理解できないだろうが,今は親の姿からその意味が多少は理解できると思う。それは,公立の学校教育は公教育の場なのに,保護者が求めるものはただ自分の子供(私)に対して何をしてくれるのかを求めており,またそれを強く要求してくる親が増えている。一時期,話題になったモンスターペアレントだ。私たち教師はすべての子供の成長を願い,教育に携わっている,どちらも歩み寄りは難しい。

 かつて学校は地域のコミュニティーの中心であり,教師はある種の権威者であり,保護者や地域からも尊敬されていた。また,学校は教育のすべてをなんでも引き受けてきた。他の国には見られないことであろう。(そのため確かに給与でも教員は優遇されていたのであろうが。)その象徴が部活動なのであろう。否応なしに多くの教師がその仕事を担った。かつての日本型企業は,社員は家族で運命共同体であった。したがって,社員は勤務時間など関係なしに働いていた企業も多い。したがって,教師が勤務時間度外視で部活に取り組まされても,社会の中で,何の疑問も持たれなかったのであろう。

 さて,現在,公共のサービス機関と化し,相変わらず教育に関わるほとんどをその能力もないのに背負わされている。しかし,そんなことより何よりも苦しいのは,教師が向い合せなければならないのは,子供たちだけでなく,その向こう側にいる保護者であり,現実の地域社会,さらには社会である。

 普通の大人ならばクレージーとしか言いようのない人とは距離をおく,関わらないことが可能である。しかし,教師はそういう大人とも,子供を通して関わらざるをえない。昔,よく“子供は教師を選べない”と言ったが,”教師も生徒を選べない”。もちろんその親を選ぶj事はできない。これがおそらく一番辛いであろう。

 私の子供の頃も,近所に変わった方がおられたが,この方に対しての対応は多少の苦労はあったが,大人たちは地域の中でうまく操縦していた。発達障害ということばを私が初めて知ったのはおよそ30年がたつだろう。そして,現場でこのことが意識されはじめたのはおよそ20年前ぐらいであろう。しかし,発達障害への対応は,各教育行政に任されており,地域により大きな対応の差がある。

 今の保護者の世代はまだ発達障害などという概念がなかった時代に,子供の頃を過ごした世代だ。なかには発達障害を持った方もおられる。これと対応しなければならないのは辛い。それこそ昔ならば地域やお年寄りの力,そして学校の権威でどうにか対応できたのだろうが,今の時代,校長の話さえも聞かない輩もいる。容易には対応できない。おそらくこれでつぶれている教師はかなりの数いるのではないかと考えている。どういうわけかそういうポジションにはまってしまって,まじめで誠実であるほど,その対応に苦慮し,つぶれてしまう人も多いのではないかと推察している。

 ここへの対応は,一人の教員が抱え込むことなく,チームで対応していくしかない。しかし,当然,学校体制が悪ければ,チームでの対応はできない。結局,教師は子供との信頼関係という細い糸を太くしていくしかない。それには限界がある。私にも今は有効な手立ては考えられない。