totojp’s blog 教育言いたい放題

若い先生方に読んで欲しくて書いています

言ったもん勝ちの世界

 最近,感じるのは言ったもん勝ちに日本全体がなってきていると言うことだ。具体的な例は出しづらいのだが,自分は弱い立場だからと権利を主張し,強引にその意見を公の中で通してしまうこと。ある事案に対して,自分が負のイメージを持つことから,他の立場を考えずに反対してしまうことなど,多々見られる。

 このようなことは昔からあったのかもしれないが,今強く感じることはそれが世の中であからさまに見るようになってきているということだと思う。少なくとも十数年前には周りにはあったが,日本社会全体の中であからさまに見えるような状態はなかったと思う。

 さて,自分自身を振り返ってきたときに,いろいろ自己主張してきたと思う。もちろん自分の気づかないことで言ったもん勝ちの世界で主張したきたこともあるかもしれない。しかし,自分としては自分の利害のために主張してきたことでなく,自分のことではなく公のためのことで主張したり,自分に利害が関わることでも,それが私に関係なくても正しいと思うことを主張してきたと思う。それは,私自身が数学科の人間で,筋が通らないことが嫌いなところが大きい。

 さて,これからの日本は公を考えずに,エゴとエゴを主張する主張する世の中になってくるのだろうか?それはすべてが裁判などで争われる世の中になってくるのだろうか?

軽度発達障害に思う

 軽度発達障害に対する支援が,今の教育現場のカギになることは言うまでもない。

 先日,こんな事がありました。ある事から幼馴染に電話で話をしました。

私は既に生まれ育った場所から,引っ越していますが,彼女は今も生まれ育った場所で暮らしています。

 私がまだ子供の頃,近所に東さん(仮名)という方が住んでいた。この東さんは酔うと近所をまわって,いろいろいちゃもんをつけてくる。近所でも変わった人で有名であり,みんな距離をおいて接していた。軽度発達障害という概念が教育現場に入ってきてから,軽度発達障害ということばを聞くと,この人のことをよく思い出した。

 さて,電話で話してくれた内容ですが,この東さんが亡くなって,その家に妹と妹の子供(甥っ子)が住むようになり,さらに妹さんも亡くなり,甥っ子である男が一人で住んでいるとのことである。この男,私と幼馴染と同じ年で,おじさんである東さんと同じようにいろいろなところでいちゃもんをつけて,迷惑をかけているそうだ。幼馴染も怖くて困っているそうだ。

 東さんのときの時代,昭和の時代は,東さんの対応にみんな困っていたが,近所の方々は距離をとりながらも,この東さんを大きな事件も起こさせず,何とかやってきていた。村の中で変わった方がおられても,上手に距離を取りながら何とか地域の力で対応してきたのだと思う。しかし,今は人口の減少が進み,さらに近所の付き合いが薄くなってきている。近隣でこの人に対応しようとしても,厳しいのが現実である。

 軽度発達障害が言われるようになってきても,相変わらず教育現場はこの問題に振り回されているのが現状である。しかし,世の中の現状を考えたときにこの事案に対する対応は急務である。学校現場の対応では限界があり,この問題は市町村の教育委員会に任されている。しかし,この市町村の教育委員会の対応に大きな差があり,進んでいる教育委員会とそうでない委員会の差が大きい。進んでいない委員会は学校現場任せである。もちろん学校現場が何かできるはずはなく,ごまかしごまかし社会にほおりだすのが現状だと思う。

体罰教師はつくられる 〜映画「怪物」を観て〜

番組の宣伝にのせられて映画「怪物」を観てきました。三者の視点で描かれているという点に興味を持ちました。子供たちの演技がよかったなあと思います。難しい役どころですが,いい演技でした。

ネットの感想を読むと,学校の対応についてさすがにあれはないという感想が寄せられていました。私も「校長が帰ってしまう」,「飴をなめる」など,確かにあそこまで対応はひどくはないと思いますが,しかし無実の教師がいつの間にか体罰教師になってしまう事例はありえると思っています。

 今の世の中はンモンスターペアレンツをもちろんのこと,子供が不平不満を言ったら子供の勝ち,親の勝ちになってしまいます。いつからこんな世の中になってしまったのだろう。昔の同僚からの話です。こんなことがあったそうです。彼が教えている情緒障害学級の子の母親が担任教師にLINEで「授業が早いと子供が泣いている」と連絡してきたそうです。そして,担任教師は彼に,「ああいう子たちだから,ゆっくり繰り返し,繰り返し教えてくれ」と言ってきたそうです。彼は「ビックリです」。なぜならクラスは2人を教えており,同時に同じ内容を教えていることはなく,完全個別で行っています。私同様に数学などは学力差があるので,なるべく個別で進めるべきだと考えているそうです。

 したがって,彼にすれば「授業が早いということはありえないのです」。そこで,以前も教室に入っていただいたサポートの(女性の)先生に教室に入ってもらったそうです。入っていただくと,本人は喜んで学習に取り組んだそうです。不平を言った生徒は簡単に言うと,本人の望みは細かく世話を焼いてもらいたいということだったようです。

 彼のように,自分としてはまともにやっているのに,生徒が不平不満を言うと,周りの教師や管理職は状況を確かめもせずに生徒の側についてしまう。したがって,今の時代は安易に体罰教師や暴言教師ができあがりやすい。私なんかは,この状況で教育は可能なのかと疑問を持たざるを得ない。 

 人を育てるためには,父性と母性の両方が必要である。また,生徒には負荷をかけないと育ちは期待できない。昭和のような教師中心の世界に戻せとは言わないが,せめて生徒も教師も平等に扱って欲しい。生徒様では教育は成立しない。

1年文字の式 こんな授業を単元の導入に行います

 1年の文字の式で重要な場面は単元の導入だと考えています。ここで紹介する場面は,それこそ三十数年前,退職間近の先輩の先生から教えていただいた場面です。三十数年たって未だに同じ場面を扱っているのは,「どうなのか?」と言われる方がおられるかと思いますが,数学は人類が積み重ねてきた文化です。したがって,何年たっても変わらないのです。したがって,いい指導法は今も変わらずいいのではないかと思います。

 下のようにマッチ棒をつなげて正方形を書いていきます。

 10個正方形をつくるには,マッチ棒の数は何本必要ですか?と問います。しばらくすれば31本と答えるでしょう。それでは100個だったら何本必要かなと問います。301本と答えたら,どんな方法で出したと聞きます。

 

  ①     1+3×100

  ②     ×100+ 1

  ③     4+3×99

  ④     ×100-99

  ⑤     100×2+101

 

などが出てきます。発表させると同時にどのように計算したのか図で確認することがいいでしょう。

  1+3×100

100は正方形の数を表していることを確認し,マッチ棒の個数は1+3×(正方形の数)で表されることをおさえます。

 それでは,他の場合でもマッチ棒の個数を(正方形の数)ということばを使って表せないかなと問い、個人追究させます。このとき,②と①は交換法則を使えば同じ式なのですが,ここでの簡単な練習問題になります。

 99が(正方形の数-1)に気づくことなど,なかなかハードルが高いと思います。そして,ことばの式ができたところで,正方形の数をaとして,マッチ棒の数を表そうと言います。

  すべての式が出たところで

      1+3×a   ② 3×a+1 ③ 4+3×a1) ④ 4×a-(a1) ⑤ a×2+ (a+1)

 「いろいろな式が出てきたね。でも,この単元を学習していくとすべてが同じ式で表されることがわかります」と言って授業を終わりにします。もちろんここで代入も扱えないことはないが,自分としては盛り込みすぎと考えます。

 さて,現行の教科書もほぼこれに近い入り方をしているかなと思います。しかし,この導入をするようになってきたのは,前々回の教科書からです(?)私が二十台でこの授業のレポートをもって若い先生対象の研究会に出たところ,当時四十代の指導者はこのレポートの価値を分かっていなかった。ようやく時代が追い付いてきたような気がします。そう考えると私が若い頃の退職間近の先生方はすごかったように感じます。やはり数学の現代化の時代に授業をやってきた先生方は違います。

2年 式の計算の利用 〜カレンダーを使え〜

 文字式の利用は図形の証明の前段階の学習である。この単元はただ単に文字式の利用としてとらえるのではなく。本格的に演繹的な推論を学習する図形の前段階の学習であるということを肝に据えるべきであろう。文字を使っての証明なのだ。

 そして,大切にすべきことは命題を生徒に意識させることである。私はこの学習の段階で仮定と結論ということばを教えてしまう。(*本当は命題ということばも教えたいのだが・・・。)それは生徒にとっても図形とのつながりが,よいと考えるからだ。

カレンダーを使え!

 この小単元の導入は,現行の啓林館の教科書も使いはじめたが,「カレンダー」である。どうしてカレンダーがよいかというと,これは教科書を見ているだけでは分からないのだ。

 

身近で数が規則正しく並んでいる

数が有限である

問題変えがしやすい

 

身近で数が規則正しく並んでいる

これは言うまでもない。日常生活の中でカレンダーはほぼほとんどの人が毎日見ているし,そして,多くの部屋で飾られている。これだけ身近で数が規則正しく並んでいるものは他にない。

 

数が有限である

 これを意識していない教師はいるのではないか?カレンダーは言うまでもなく,数は最大で31までであり,有限である。したがって,たとえば「カレンダーの横3つの数ならば,その和は真ん中の数の3倍である」という命題ならば,文字を使わなくても,すべての横3つの数のすべての場合を調べることで,証明することができるのだ。

 これは文字を使う必要性にも関わっているので,教師は意識しておきたいことだ。

問題変えがしやすい

これは具体的な授業の説明で理解してください。

私はカレンダーを使ってこんな授業をします

      命題作り,結論を探す!

 まず,カレンダーを提示して,「これは何だ」と問います。「6月のカレンダーだ」と答えてくるでしょう。そして,横3つを○で囲み,さらに3つぐらいを囲み,「『月のカレンダーの横3つの数』どこの3つをとってもいつでも言えることはないか?」と問います。

時間をとってノートに書かせると,つぎのようなことが出てきます。

・整数が並んでいる ・真ん中が偶数の場合と奇数の場合がある ・1ずつ増えている

・左が偶数なら右も偶数 ・和は3の倍数 ・左と右の和は真ん中の数の2倍 など

 ここはどんどん言わせてください。特に1つずつ増えるは文字に置くときに必要になります。生徒もカレンダーだから当たり前だと思って言わない場合もあります。机間巡視の時に生徒がどのように考えているか?見取りましょう。出そろったあとに,「どうして?」と問います。そうすれば「整数が並んでいる」などは,カレンダーだからと生徒は説明します。そして,説明が必要でないもの。カレンダーだからだけでは説明できない説明が必要なものに分けられます。そして,「6月のカレンダーの横3つに並んだ数ならば、その和は真ん中の数の3倍である」という命題ができあがります。結論を探させることは,生徒にとって発見的な学習になります。いつでも言えることを説明しようといい、追究させます。

②   個人追究から全体追究 

 追究させる中で,実態を捉えて,「全体追究をどのように仕組むか?」考えます。例えば,数で説明できている生徒が入れば,板書させます。

 そして,(161718の場合)はいいけど,いつでも言えることは説明できていないことを確認し,いつでも言えることを説明するためにはどうしたらよいか?問います。場をつくして確かめることも確認します。

 導入で文字を使っての説明を扱っているので,文字を使うことは出てくると思います。また,連続する整数の文字の表し方がn,n+1,n+2等が出てこないときは最初に「1ずつ増えている」が利用できます。学級の実態に応じて,支援していきましょう。同じ追究をしている生徒を関わらせることも手立てです。

 全体追究で証明を書かせた後に,全体で確認します。このときに相手が納得できる説明かどうかを考えさせることが大切です。それは生徒がとかく計算だけを示しがちだからです。そして,説明の手順を指導することが大切です。

 私は以下のように指導していますが,

   ・文字を断る(文字で表す)こと

   ・式で表し,式変形すること

   ・式を読むこと

   ・説明したことを断ること

 これは日常生活で説明しているのと同じですし,図形の証明でも同じなのですが,生徒にはなかなか流れを抑えないと定着しません。全国学調でもずっと出題されたように,この単元は大切にしたいですね。

 また,文字をn-1,n,n+1で表してよいことも(もちろん,n-2,n-1,nでもよいこと),指導したいですね。

第2時は問題変え

 前回説明したことを確認し,

 「6月のカレンダーの横3つに並んだ数ならば、その和は真ん中の数の3倍である」

 この結論を成り立たせる。ほかの仮定はないですかと問います。(私は仮定と結論ということばをここで指導してしまうので使います。)

 「6月のカレンダーの           ならば、その和は真ん中の数の3倍である」

 生徒はすぐに縦と答えてきます。ほかにないかなと聞くと生徒はいろいろ考えてきます。このことを考えさせることにより,カレンダーの中で規則正しく3つ並んでいるのであれば真ん中の数の3倍であるという構造に気づき始めます。

 この時間は文字を使って説明することに慣れさせたいので,「前時の説明を参考にしながら説明してみよう」と追究させます。

 *1,2時としましたが,ここまでやるのも時間的にたいへんです。学級の様子を見ながらどこにポイントに当てるのか?考えながら指導しましょう。

第3時は偶数と奇数の和は奇数である

 第3時は偶数と奇数の和は奇数であることを扱います。

   私はノートの1/6~1/8ぐらいの大きさで以下のように書かせます。次にAに偶数を5つ,Bに奇数を5つ書くことを指示します。そして,A+Bを足すように指示します。このとき,連続した偶数など特殊な数を入れてないか確かめてください。

 そして,A+Bはどんな数になった?と問います。偶数,奇数を扱っているので,奇数という発言が出てきます。整数などが出てきたら,「そうだね。整数同士を足せば、整数になることは1年生のときに学習したね」と褒めましょう。

 「偶数と奇数の和は奇数である」という命題ができあがります。そして,「『いつでも言えること』を説明するためには,どうしたらいいかな」と問います。この時間になれば文字を使うとすぐに返ってくるはずです。そこで,数は無限になるのですべてを調べることはできないねといい。文字を使って説明することをおさえます。

 そして,偶数の文字の置き方を説明します。ここは生徒の力では無理です。さらに説明に入ります。ここは流れを確認しながら説明します。全部説明が終わったときに,mnなどで文字を変える必要性を扱います。

 次に問題変えです。この問題を変えられることを聞けば,偶数,奇数を変えること,和を変えることなどが出てきます。

 全てを考えさせるのでなく,ここは「偶数と奇数の和は奇数である」の説明を示して,問題変えした問題を考えさせるのが,得策と考えています。

第4時?

 私は「2桁の整数とその十の位と一の位を入れ換えた数の和は11の倍数である」を扱います。前時同様に枠を切り,ほぼ同様の流れで指導します。

 

 この小単元では,1年で学習した「整数+整数=整数」であることを公理として,論証していくわけですが,生徒にそのことを伝えたからと言って理解できない。「なぜ」を問うことをこの単元,「図形の調べ方」などで繰り返していき,演繹的な推論形式に慣れさせていくしかない。

 

情報モラル こんな話を生徒・保護者にしました

 SNSが問題になったとき,生徒・保護者にこのような話をしました。

 2年前IT企業の方と話したときに,コンピュータという機器は世代によってその意味が全然違うという話をお聴きしました。今の保護者の方々はゲーム世代の方が多いように思っています。その世代よりひとつ上の世代の私にとってPCは完全に就職してから出会った機器です。そんな私が正直な話,自分が情報モラルの話などを偉そうにしていいのかと今でも疑問に思っています。スライドのタイトルを私の失敗としましたが,PCに対しては私も保護者も同じ立場,もしかすれば子どもたちも同じかもしれません。そんなことでお聴きしていただけるとありがたいです。

 私は海外旅行が趣味です。写真はフィリピンですが,帰るときに飛行機に乗るまでの時間があるということで,現地の方にお願いしたところ射撃場を紹介されました。(写真を見せる)自分で言うのもなんですが,悪そうですね。韓国もそうなのですが,射撃場があって,日本で言えばボーリング場とでも言いましょうか?気軽に銃が撃てる国があります。銃はワルサーP38です。私たちの世代ならば知っています。ルパン3世の銃です。私の気分はほとんどルパン3世になっていました。

 ちょっと恥ずかしいんで後ろ向きで,SNSに投稿しました。そしたらネコに怒られました。(個人情報の保護のため写真を猫に)。「先生ちょっとねえ」と。SNSでつながりのある方なのですが,私の「何がいけないの?」ってことなのですが。もちろん銃ですね。

 このねこさんに誘われて,3年前に私、ミャンマーへボランティアに行きました。ミャンマーは僧院学校ということでお寺が学校になっています。

 実はミャンマーからもクレームというか、アドバイスが入りました。ミャンマーは有名な方は民主化の象徴アンサンスーチーさんですね。彼女はほとんどミャンマーのアイドルです。この写真は彼女の関係のグッズを売っている店です。この写真はアンサンスーチーさんの家です。ようするに何でそんな写真持っているかというと、ガイドさんが案内してくれるんですね。ミャンマーは軍事政権の国です。彼女もかつては軟禁されていました。今は軟禁がとかれ,民主化が進んでいます。(H27年での話です)銃に対する抵抗感は大きいです。

 このとき,これからの時代は高い見識と道徳性を持っていないと生きていけないことを学びました。安易にSNSは使えないなと感じました。

これからは子どもたちのことです。

 大人でも悪いと分かっていても,人間弱いです。どうしてもやるのが,ひそひそ話です。でも,ヒソヒソ話,程度ならば,いじめにはつながらないかなあと思います。

しかし,これがいったんスマホなどで,ネットにつながってしまうと・・・

 この状態です。本人たちはひそひそ話のつもりですが,実は集団の中で大きな声で悪口を言っていることと同じになります。これは大きなトラブルやいじめにつながっていきます。

 そして,ネットの海に流された情報はどこに届くか分かりません。よく、言われることなのですが、載せられた情報は基本的には取り返しがつきません。ネットには光と影があります。それを有効に使うためには心と知恵を磨く必要があります。

これからは家庭へのお願いなのですが、これもネットから拾ってきました。「実態を知る」「フィルタリング」「ルールを決める」この3つを行なってください。

 これもネットから取ってきたのですが、特にルールに関してはこんな例が載っています。確認したいことは,これからの世の中です。スマホをもたせないことはムリかもしれません。しかし,家庭でのルールなしでスマホをもたせるのはやめてください。危険です。人にも迷惑をかける恐れがあります。あとになって相談されても,どうしようも取り返しのつかないことがたくさんあります。

 

 こんな話をH27年にしました。あの当時に比べれば,SNSの問題はどうなのでしょう?

オリエンテーション機能の充実 〜学びの自己評価カード〜

 年度はじめにいろいろな全校のオリエンテーションをやっている学校は多いと思う。特に学び方を学ぶという意味から学習について扱うことは大切である。私は全校にプレゼンした後に教室に戻して振り返りに以下のようなプリントを読ませました。

「学び方」自己評価カード 

はじめに

 入学、進級おめでとう!入学式・始業式を終え、気持ちも新しく誰もが「今年こそは勉強に部活にがんばろう」という気構えを持っていることでしょう。さて、その願いをかなえるためには「授業を有効に活用すること」、「家庭学習を充実させること」などを抜きに考えることができません。そこで、このカードは「⚪︎中での基本的な『学び方』を確認し、より良い学習方法を身につけていって欲しい。」という願いをもとに作られたものです。このカードを参考にして、「なりたい自分」を設定して、1年間、折に触れこの学習カードを見返し、より良い「学び方」を身につけていって欲しいと思います。また、⚪︎中学校では「生きる力」、「生涯学習」ということばをキーワードに考え、君たちの学習をサポートしています。このカードに記入した君の「学び方」は、きっと生涯にわたって「学ぶ力」、そして、「生きる力」として成長していくことでしょう。

こんなことはできていますか?

2分前学習はどうですか?     

 2分前から学習の準備を整え、静かに心を落ち着け、次の授業の準備をすると、その教科の学習の集中が違ってくるはずです。まず、席に着き、静かに心構えを作りましょう。さらに静かにできるクラスは簡単なドリルなどウォーミングアップを行いましょう!

移動教室や着替え等の準備があっても、2分前学習を同様に行えるように、余裕をもって移動しよう!遅刻した場合は、理由を教科担任に報告することも礼儀ですね。

大きな声で発言、あいさつ、返事をしよう

 大きな声で挨拶・返事をしたり、自分の意見をみんなに聞こえるように明確に発言したりすることが、学習の雰囲気を高めることにつながります。

意欲的に発言をしよう!

 自分がわかったこと、考えたこと、思ったことは、積極的に挙手をして発言しよう。挙手は自分の意思表示です。積極的に発言することで、互いに学びあう学級の雰囲気が高まります。

授業三悪をなくそう!

 「私語」、「忘れ物」、「遅刻」は授業三悪と呼ばれ、どれも自分の学習の向上を妨げます。授業三悪がなくし、自分の課題に向かって、集中し、追究できる自分になろう!また、それができていない級友がいたら気軽に注意できる学級にしていきましょう。

持ち物にこだわろう!

 シャーペンより「鉛筆」の方がきれいで見やすい字がかけることは君たちも経験上分かってきていることだと思います。また、「鉛筆」で字を書くときの筆圧は脳の成長を助けること科学的に証明されています。なるべく鉛筆を使いましょう。また、学習に集中できる学用品は中学生らしいものを使い、記名するなど、大切に扱いましょう。

学級が共に授業で高められる学習集団になっていますか?

 学校は一人だけで学習する場ではありません。友達の意見と関連付けて思考することにより、学習の効果をあげることができます。また、時として、グループで協力して学習する場面もあります。あなたの学級はそういう場面で共に高め合える仲間にはなっていますか?

 

学習における「なりたい自分」を書こう。

 

 最後に空欄を与えて,「なりたい自分」を書かせ目標を持たせることはとても有効です。