totojp’s blog 教育言いたい放題

若い先生方に読んで欲しくて書いています

ミニ教育史(?)

私が若き教員だった時代

 主食が米の日本の社会は,戦前は稲作にとっても都合の良い村社会だったのだろう。しかし,戦後,高度経済成長期に産業構造が変化し,人々は仕事・進学など諸々の都合から,または村社会の息苦しさから逃れるために,多少災害に弱い場所であったとしても,都市部など便利のよい場所への移動が起きた。

 子供たちに新しい場所で新しく地に足がついた教育が施されていれば,問題がなかったのだろうが,核家族化の中で生活するのに精一杯で,願うような教育もできなかった家庭もある。地域社会の崩壊は,“お天道様が見ている”の崩壊である。村社会や地域の縛りがなく,根なし草になった二世たちは学校で暴れまくった。いわゆるツッパリ君が活躍した時代だ。

 しかし,よく教職員の中で言われたことだがこの世代はよかったのはある意味修正がきいた。彼はある意味、教師への反抗、親への反抗を通して,旧態依然の価値への反抗でもあった。彼はエネルギーがあった。もちろん大きく道を踏み外した生徒もいるが,ある程度わきまえられる年になると,「昔はやんちゃしたけど,今はちぇんとやっているよ」と大人になった姿を見せる生徒もいた。

 

そして今の子供たち

 この数年,どこの学校も落ち着いていると聞くことが多い。しかし,本当に子供たちは落ち着いており,その中で成長してきているのだろか?私はそんなことはないのだろうと思う。一見物分かりはよいが,ひ弱でこの上なくわがままになってきていると感じている。落ち着いているのではなく,かつてのように暴れるエネルギーもないのだろう。

 また,悪く言えば,学校もかつてのように学校側が古い価値観を持ち出して,生徒たちを責めることもなくなった。よく言えば子供たちに負荷をかけることができなくなってきているので,反抗する必要もなくなったのだろう。子供たちはひたすら沈み込む方向,そんな面倒なことをすることより,今は社会的にとても同情的に受け入れてもらえる,不登校にでもなった方が楽なのであろう。

 子供たちのエネルギーがなくなってきていること。私はたいへん大きな問題だと思っている。それは,日本の中だけは通用するかもしれないが,国際社会は相変わらずハードである。いや,ロシアとウクライナの戦争が一番顕在化しているかと思うが,ちょっとしたボタンの掛け違いが戦争をもたらしかねない時代だ。さらにそのハードさは増しており,その中で生きていくことは至難の業だ。日本が国際社会の中で,名誉ある地位を維持していくことが可能なのか?今の子供たちの姿を見て心配になることがある。