totojp’s blog 教育言いたい放題

若い先生方に読んで欲しくて書いています

各学校が横並びのカリキュラムでは意味がない

 企業のカリキュラム作成の手順を調べると以下のように出てきた。

  【手順1】自社の人材育成方針の把握

  【手順2】新入社員の現状把握

  【手順3】目標設定

  【手順4】カリキュラムの絞り込み

  【手順5】具体的な見積もり

 評価が抜けているが,学校のカリキュラム作成とほぼ一緒だなあという感想を持ちました。この中で,学校が疎かになりがちなのが,手順2に挙げている実態把握であろう。学校で言えば,地域と学校と生徒の実態把握である。

 平成の大合併で,近隣の町村を飲み込み市が大きくなっている。同じ市内であっても私の市内では市街地もあるし,過疎化がすすむ中山間地がある。学校の実態が大きく違う。しかし,県や市はそれらの学校を同じものを求めすぎているように感じる。日本には国が定める学習指導要領があるし,また教科書も国定である。その縛りだけで十分ではないかと考えている。

 同じ市内でも市街地の学校は,それこそスラムに近いものを抱えている。しかし,少子高齢化が大きな問題とされる中山間地では,昔ながらの村のやり方が令和の時代には合わず,大きなストレスを生んでいる事案もある。そんな地域の環境の違いで,子供たちの実態も当然違ってくる。

 この地域の実態の差がある中で,教育を市や県の単位で教育をくくることは生徒の実態を無視しているだろう。そこで自校のカリキュラム作成が重要になってくる。作成において大切になってくることは学校や生徒の実態である。

 40台の前半に大失敗をした。30代の後半,研究主任になり,その当時の勤務していた学校がカリキュラム研究に取り組んでいたので,カリキュラムについて学んできたつもりだった。その驕りがでた。自分がやってきたことが正しくて,新しい学校でも通用すると考えていた。結果は惨憺たるものだった。

 学校は良くも悪くも,その学校が開校した時から,その地域の中で生徒と教師の営みがある。それがずっと続いている。もちろん変わっていることもあるし,変わらずに学校の中で受け継がれていくこともある。もちろんその中には好ましくないこともあるが,潜在的なカリキュラムとして,学校を安定させ,子供たちの教育に大きく寄与しているものもある。

 そのとき学んだことは,良くも悪くも学校は革命ができない,フルモデルチェンジはできないと感じた。

 参考にしようと見せてもらった授業はひどかった。プリントをやらせ,教え込む授業だった。しかし,〇×を答えるので,生徒は発言した。また,知識を注入してくれるので,子供たちはわかりやすいと言った。その当時から授業中,数学を考えさせることを模索していた私の授業は,問題を出すことで「問い」を生ませる。当然その時点では答えはわからない問題である。生徒は分からないと言っていた。

 今思えば生徒や保護者に学力などについて,丁寧に説明することが必要だったことは分かっている。ただ,その当時は正しい道を進んでいれば,生徒はついてくると思っていた。横柄な自分がいた。

 話はだいぶそれてしまったが,私たちがカリキュラムを考えるときは,眼前の生徒を考えることが大切であり,理念だけで編成するのではなく,トップダウンボトムアップのバランスが取れたカリキュラム作成が必要であろうと考えている。