totojp’s blog 教育言いたい放題

若い先生方に読んで欲しくて書いています

2年 式の計算の導入 その1 脱線に次ぐ脱線をしていますので、導入以前です

 実は今年度は2年生のい普通学級は教えておらず,そのためにこのブログでも2,3年については書いてきませんでした。1年の正負の数についてはだいたい書くことができたので,ここで式の計算について書きます。ただここは脱線に次ぐ脱線をしていますので、導入以前です。具体的な導入場面は次のページです。

大切なのは導入です!

 私が2年の「式の計算」で大切にしていることは,「導入」です。なぜかというと,式の計算の前半は計算です。これは生徒指導上の問題などない学習に興味関心が薄れていない生徒たちであれば,すんなりと流れるはずです。言い方を変えれば学習に興味をなくしている生徒に計算をやる気にさせる手立ては難しいです。それは計算はそれ自体では意味がなく,無味乾燥していると言っても過言ではないからです。強いて言えば,内容以外のところで工夫するしかない。授業の運営の仕方やできることで達成感を与えることなどで改善するしかないと考えています。

 しかし,正直それも限界がある。大変な学校で教えていた頃,偉そうに授業改善と言われたことがある。確かにそうなのだが,普通の教師ならば常に授業を改善しようとしていない教師はいないはずだ。例えば理科は実験などを多くすることで,集中する時間を減らすなどの手立てを打つ事ができる。他の教科も学習が厳しい生徒にそれぞれ逃げ場はつくれるように思う。数学でそれをつくるのは難しい。

 話がかなり脱線してしまいましたが,「導入」で扱いたいことのひとつの目的として,この単元を学ぶ価値,文字を使うよさということです。教師になってなりたての頃は空間図形で学習する立体の体積や表面積は公式を暗記して,そこに値を代入するという学習であった。もちろん公式をただ覚えることにあまり価値はないのだが,そこには代入のよさや文字を使うことで公式を簡潔に表すという文字の良さが実感できたと思う。それがなくなって,今は文字で表現するが公式に代入して計算するという点が薄くなってきている。これはただ単に公式を暗記することの弊害をなくしたからであろうと思われる。しかし,代入計算は数学では大切で特に高校数学などは代入計算ばかりだ。

 

ゆとりの時代 代入計算ができなかった

 私はちょうど「ゆとり」と呼ばる時代の最初に,人事の関係で高校に勤務していた。そのときびっくりしたのは,ゆとりできた生徒たちがそれ以前の生徒と違って,代入計算が全然できないのだ。そう「解の公式」がそのときは高校に移ったために,代入計算をする経験がなく,高校に来てしまったのだ。確かに式の計算の単元の中で,代入を扱う場面はある。しかし,その場面だけでは代入する式自体に意味が薄いので,代入計算の価値は伝わらない。そういう意味から空間図形で公式に代入して計算することも必要なのだ。しかし,現行は中学校では初めて代入を使って具体的に解決するのは解の公式である。解の公式は代入計算を初めて練習する場面だと教師は心掛けておいた方が良い。それは高校数学を学んでいくときの生徒を扶けることにつながると考える。

 さらに脱線します。こう書いたからと言って,私は単純に「ゆとり」と呼ばれた学習指導要領を否定しない。あの学習指導要領から「総合的な学習の時間」が創設された。趣旨は間違っていなかった。あの当時,私はまだ30代の研究主任を研究が盛な学校で勤めていた。もちろん学習指導要領の方向を早めに取り入れ,学校は対応していた。その前線にいたと言ってもいい私や当時の私の勤務校でさえ,あの学習指導要領は対応が難しいと感じた。それは振れ幅が大きすぎたのだ。各教科を一律で1時間ずつ週あたりでカットしたことで,各教科の系統性などそれまでの指導を崩してしまい,かえってゆとりを無くしてしまった。

 またまた脱線。ちょうどゆとりの子供たちが入学してきたときのある高校の数学の研究会で「学力が下がったか?」という議論になっていた。高校の先生方はほとんどの方が本当に優秀だと思っている。厳しい関門の中から教員になっているので,また実際に中学の先生よりもきれる。しかし,この議論にはびっくりした。もちろんあの頃,学力低下がちまたで話題になっていた事も確かだが。「なんというバカな議論をしているのか?」と感じた。学習指導要領が変わって,教えられていることが変わったのだ。したがってそんな簡単に,学力が上がったか?下がったか?比べられないし,議論できないのだ。強いて言えば学力の質が変わったとしかいいようがない。